最近になってゲームや娯楽に費やす時間を削るときに、「これは麻薬と同じだったんだ」と感じました。宗教も流行でも何でも今の自分に依存傾向があるものが無いか、一度見つめなおすことは大切です。
思い切って、殆どのゲームをやめる決意をした時に、タバコをやめるのと同じ感覚になりました。
昔やっていたギャンブルとかの時もそうでしたが、その度合いで依存していたことが分かります。
当たり前の事ですが、
ゲームも娯楽も費やした時間と労力に比例して依存性が高まる。
例えばパチンコでも負けたりする額と積み重ねた時間でやめられなくなりますし、キャバクラでも一人に投資した時間とお金で依存してしまう。
恋愛でもありますね。付き合った時間が悪い意味で長いから、人生の中でしめている時間が長い程、依存してしまう。
メリットデメリットで恋愛や人間関係を語るのは無粋ですが、逆に言えば依存している人ほど損得を考えている、主張をすると思います。
また、何かが欠けている人ほど、こういった依存をしてしまうかと思います。
暇だから、自分だけでは存在意義が感じられないから。
人それぞれ違いますが、何かしらで埋めてしまうのが依存の特徴だと思います。
最近良く大人同士で食事する時に子供にスマホを持たせて暇潰させる光景が当たり前にあります。
始めはどうだったのでしょうか。
では、これをある程度当たり前になってから、とりあげれば子供にとってはストレスになります。
もしくは、大人が自分の都合の時間が出来る訳ですから、楽ですよね。
これは本当に最悪な流れなのですが。
または、もしくはみんなが持っているから。
みんながやっているから。
そんなこと知ったこっちゃない。ダメなものはダメ。
こんな理論は通用しません。
下手に取り上げたら、子供の世界でいじめや、肩身が狭くなったり甚大なストレスや傷になりかねません。
なので、禁止にすることが最善策ではないのです。
ではどうしたら、ゲームや娯楽の依存を止められるのか。
それ以上のものを与える、もしくは見つけさせてあげることが最善だと思います。
これは犬や猫と同じじゃないかと思うかも知れません。
餌をあげる代わりにお手をさせる。
逆に言えば、下手したら子供を犬や猫以下の扱いしているのかも知れません。
また、自分の都合でやるやらないを子供に決めている事を忘れないでください。
ここが大きくずれている部分で、言う事聞かないから等ではなく、言う事聞かせられない状況にしてしまったから、もしくは自分の人生を大事にしたいから餌やるから犠牲になれと。
これを行っていてヘラヘラ笑っている大人を見ると吐き気がしますね。
これを自分自身に置き換えてもきっと同様の事をしている可能性があります。
自分もしているから人も良い。人がしているから自分も良い。
そんなルールはございません。
とにかく、依存している以上のもので価値のあるものを探しましょう。
または探してあげましょう。
親であればこれが義務だと思います。
個人であっても、自分の人生にに自己責任を持って有意義に歩みましょう。
ではそれ以上のものが用意出来ない場合どうすればいいのでしょうか。
もしあなたが親であった場合、こう言います。
「知りません。マジで。」
と言いたいのですが、そもそも子供にそれ以上のものを考えることが出来ないのに親ですか。
と言いたいです。
貴方が出来ない(育児放棄)のに、子供がこの先道をきちんと進める可能性は低いでしょう。
自己都合で人生観を押し付けて、ここはいい加減。
自己都合で語られて育てば、自己都合な人間に育つのは当たり前です。
そういった親が多いからこそ、そういった子供に育つのでしょう。
自身の夢や多少道が逸れても自身の道を歩める子の親は大概、子を絶えず愛してます。
中には苦しい家庭環境だからこそ、逆境で強くなる子もいますが。
ただ中途半端な家庭環境程悪いものはありません。
そもそもそれに気が付いていない、自分は悪くないと思う親だからこそ、一番始末悪いのです。
そこに愛があるんか。
ないんか。
はっきりしている方が子供も人も動けます。
結論まで長くなりましたが、どうすればいいのでしょうか?とか知恵袋にあげるのではなく、どうすればいいのか見つけるまで一緒に問題が大きければ大きいほど、それに合わせて寄り添って悩むことがそもそも大事なのではないのでしょうか。
例えばパチンコ依存症の人に、やめた方が良いよと第三者が伝えてもやめさせることは難しいです。
麻薬でも異性関係でも。
強制的にやめさせる何か他の力が必要なのだと思います。
これは法律と同じで、社会にダメージを与える可能性がある割合に応じて罰を与える仕組みです。
こうやってルールを強いられないと、人間は機能しない。
そもそも法は人の為ではなく、社会の為、要は政治家の為なのですが。
では罰する事がいいのでしょうか。
これは最低最悪の手段です。
法で罰することも本当は最悪な手段なのです。
本来であるならば、そうならない様に出来ればそれがベストなのです。
第三者を悪い道から(もしくは悪いと思う道から)良い道に歩ませることはそれ程難しい事なんです。
だけど自分の子供に暴言、怒鳴る、ましてや手を出すのは親である以前に最低な手段です。
これを行うのは他に方法が思いつかない無能なあなた自身が悪いのです。
なので、第三者では無く、家族故に出来る最善の手段が、誰よりも寄り添って、誰よりも答えが出るまで悩むことだと思います。
第三者でも誰でも緊急性がある場合は別ですが。
よって第三者の場合も、どうしても良い道に進ませる事が必要なのであれば、その度合いに合わせて寄り添う覚悟が必要になる訳なんですよね。
人間関係が希薄になっているこのご時世ですと、尚更、第三者を止めるのは難しくなっているのかも知れません。
身内以外に関しては人それぞれの人生なので、ダメだとか文句を言うのは簡単ですが(SNSやネットで争うのも含めて)、大切なのは人それぞれの貴重な人生故に思いやりを持って寄り添う事なのではないでしょうか。少なくても攻撃したり争うよりは。
なので、こういった依存を私自身はやめようと心がけて行きますし、出来れば依存で苦しんでる、または本来もっと本人にとって良い道があるのに歩めない方々を、歩める様に出来る力が欲しいと思います。
ちなみに自身でも体験していますが、勉学に依存すると果てしない無限の道のりです。
これを楽しめる事は人間だからこそ出来る素晴らしい依存だと思います。
私はこれをアフェリエイトを通して学ぶことが出来ました。
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ではでは


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